葉月のスキズキ

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zoom RSS ノストラダムス(その四)

<<   作成日時 : 2007/09/04 19:09   >>

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さてシュノンソー城を夫の死後まっさきにディアンヌからとりあげた話は前にも触れたが、本妻と愛人の骨肉の争いということより、あまりにカトリーヌの行動が素早かったため、カトリーヌはあらかじめアンリ2世の死を知っていたのではないかという憶測が当時流布したことが分かっている。カトリーヌの下には多くの占星術師や怪しげな学者が出入りしていることを世の人々は知っていた。そのためカトリーヌは夫の事故死を予見していたと考える人たちがいたのだ。カトリーヌの下に出入りしていた占星術師のひとりが今回紹介しようと思うミシェル・ノストラダムスである。

ノートルダムと素直に言えばいいもののわざわざラテン語風に仰々しくノストラダムスと言うのか理解に苦しむこの名前を日本の人はあまり耳にしたことがないかもしれないけど、欧州ではかなりの有名人なのである。五世紀も前に生きた人なのに、各国に自称ノストラダムス研究家が何人もいて未だに年に数冊は“研究書”が出版されているくらいだ。

カトリーヌの取り巻きたちの多くの伊太利人と違って、このノストラダムスはプロバンス出身の仏蘭西人の医者である。仏蘭西がどこからどこまでかはっきりしないような時代なのでプロバンスを仏蘭西扱いするのも乱暴かもしれない。文化的精神的には今も昔もパリ辺りよりジェノバ、ミラノ、フィレンツェのほうがよっぽど近いとは言える。

サンレミに生まれたノストラダムスは名門モンペリエ大学の医学部で学んでいる。成績は非常に良くて学費免除特待生になるほどだったが、ペストの流行や戦争の影響で大学が閉鎖になり卒業せずに臨床活動に入っている。臨床医師としてもやはり優秀だったらしく各地でペストの沈静化に功績があったこともわかっている。
しかしノストラダムスの名声を広めたのは臨床医を引退したあとに出版したいくつかの書物だった。1555年に出版された『化粧品とジャム論』『百詩篇』の二冊は特に有名でカトリーヌによって宮廷に呼ばれたのもこの出版の数ヵ月後のことである。当時まだ占星術師としてより、おそらく医師として薬や毒の専門家としての知識が期待されていたのではないかとも思える。カトリーヌは毒物に関して非常に旺盛な好奇心をもっていたことは良く知られている。

ともあれカトリーヌのこのノストラダムスへの信頼は群を抜いていて、後にはサロン・ドゥ・クローに隠棲していたにもかかわらずシャルル9世の常任侍医兼顧問の称号も与えられているくらいだ。そのとき同時に金貨50枚を母后から拝受したという説もあるがこれは単なる噂らしい。いずれにしてもカトリーヌ・ドゥ・メディシスがノストラダムスを父のように慕っていたのは確からしく、この時期ノストラダムスの偽者が何人も出現したほどだった(ちなみにミシェル・ドゥ・ノストラダムスというのは偽者のひとりの筆名)。客観的に見れば単なる田舎の村の引退した医者に過ぎないのに、それほど母后からの信頼がノストラダムスの名を全仏に広めていたことがうかがえる。

ノストラダムスの死によって彼の名前は忘れ去られたが、1668年に奇妙な形で復活する。アムステルダムで出版されたジャン・ジャンソンの『ノストラダムスの真実の百詩篇集或いは予言集』がそれである。これは1555年に出版された『百詩篇』の焼き直しのようなものだが、このときからノストラダムスの『百詩篇』は『予言集』となったのだ。
この本によると『百詩篇』の中の四行詩のひとつが1666年のロンドンの大火を予言したものだということになる。
Le sang du juste a Londres fera faute
Brusles par fouldres de vint trois les six
La dame antique cherra de place haute
De mesme secte plusieurs seront occis
ロンドンでの正義の血筋は過失をもたらす
23の雷による焼失いくつかの6
古風な婦人が高い場所から崩れ
同宗派多くが殺戮される

ノストラダムスの四行詩はラテン語とも仏蘭西語ともとれない不思議なルネサンス期の仏蘭西語で書かれているが、四行詩だけあってさすがに短くて、美しく神秘的なこともあり割と読みやすい。この詩などはあまり現代仏蘭西語とかわらないようにも見える。
Brusles par fouldres de vint trois les six
という一行は俳句をやっている人間なら必ずvint troisの後に「切れ」があるとか言い出しそうなフレーズだが、なぜこれが1666年を意味することになるのかはさっぱり分からない。しかし1666年はロンドン大火の年であるとともにノストラダムス死後ちょうど百年だったことも受けたのか、『ノストラダムスの真実の百詩篇集或いは予言集』は欧州中で大ベストセラーになった。このときから欧州ではノストラダムスは予言者の代名詞になったのである。

(つづく)

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ノストラダムス(その参)
ロワール流域の古城に関するガイドブックなどにはアンリ2世の死後、まっさきにカトリーヌがディアンヌからシュンノンソー城をとり上げたことは必ず載っていて、本妻と妾の骨肉の争いみたいな説明がなされているのだが、やはり本妻と妾という表現には違和感を覚える。 ...続きを見る
葉月のスキズキ
2008/03/20 20:58

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