一周年

今度の3/11で原発事故から一年経つ。
これから半世紀や一世紀は付き合っていかなければいけない問題なので一年というのは何の節目にもならないけれど、ごちゃごちゃと愚痴だらけになりそうでもやはり思ったことを口にしないでおくと健康に悪そうなので少し書いておこう。

津波が何度押し寄せようが富士山が何回噴火しようが日本人はしぶとく生き延びてきたわけだけど、原発事故ばかりは本当にこの民族の存続にかかわるのではないかという印象は一年を経ても弱まることがなかった。

原発事故自体大変なショックだった。しかし妙に疲労を感じるようになったのは事故後の政府の対応がまるで危機感を伴っていないものだったことも大きかったように思う。マスメディアの動向も含めて。

放射性物質による汚染は言うまでもなく現状でも十分深刻だけど、モラルハザードも多くの日本人を蝕んでいるように思える。あれほどの大事故なのに結局のところ誰も責任を感じていなければ責任を取ろうともしない辺りがこの国に精神的な危機を呼び込んでいるようにも見える。こういうことを計量化して論じるのは不可能だろうけど、社会が存続していく上でかなり大きなダメージなのではないだろうか。

それに政府の発表やマスメディアの報道を鵜呑みにする人も目立って減った。
私自身に関しては昔からそういうものをまるで信じていなかったわけだけど、そういうひねくれ者は日本ではせいぜいほんの数%だったような気がする。しかし現在ではかなり多数の人がひどく疑い深くなったようである。
独裁政権下でなら人々が政府やマスメディアの言うことを鵜呑みにしないのはごく普通の態度かも知れないが、日本のように多くのメディアが自由な企業活動として報道に従事しているように見える国では、この状況は異常だ。

自分自身のことで恐縮だが、体調を崩してしまい自分が割と逆境に弱い人間であることを知ったのも印象的な出来事だった。自慢じゃないが(本当に自慢にならない)私は成人して以来一度として生活が安定したことがないので、それなりに不安定な状況に対する免疫が人並みよりやや強いのではないかと思い込んでいた。でも実際にはそれほどでもなかったようだ。

あと私はチェルノブイリでの事故前後ヨーロッパに居たため普通の日本人より原発事故に詳しいつもりでいたのだけど、福島第一原発の事故で意外に思ったことも多い。

まず三機もの原子炉がメルトダウンしてしまったら放射線量が大きすぎて、防御服を着用しても原発敷地内で継続的な作業は不可能になると思っていた。でも実際のところ事故後毎日様々な作業に従事している作業員は多数いる。もちろん健康被害はすでに在るだろうし今後も出続けるのだろうけど、私のイメージでは即時的な放射線障害で(要するに多臓器不全とか免疫不全などで)バタバタ倒れていくような場面を想像していた。結局どなたかが豪語していたように旅客機が衝突しても壊れない原発建屋や格納容器圧力容器が非常に頑丈であちこち穴が開いたりひび割れたりしていてもまだかなり多くのものを押さえ込んでいてくれているのだろう。

三機のメルトダウンというのも大きな衝撃だった訳だけど、定期点検で休止していた四号機の方がメルトダウンした三機よりも深刻な問題であるというのは311前には夢にも思わなかったような事態だ。

日本にある50機以上の原子力発電所のうちそのほとんどが停止しているという脱原発派には喜ばしい現状があるとは言え、仮に全ての原子炉が停止しても結局のところ使用済み核燃料を最終的に処分しない限り日本全国どこでも枕を高くして眠れないという厳粛なる事実を、福島第一原子力発電所四号機は世界中の人間に突きつけているとも言える。
久米田康治のマンガに出てくる糸色望先生が「絶望した!」という決め台詞を自粛してしまっても仕方ない状況である。そういえばトイレのない集合住宅という比喩は誰が言ったんだっけ。あと、何度も言うようだけどたとえ事故が無くても停止させるのに二十年掛かるようなシステムは放射性物質を勘定に入れなくても正気の人間が運転するようなものとは思えない。

ともあれ福一四号機は工程表では来年末ごろからプールの使用済み核燃料の取り出し作業を開始するらしいけど、いくら何でも悠長過ぎやしないか。
首都圏で直下型が起こる可能性が70%なんて数字が喧伝されて(首都圏からの避難を暗に推奨する動きが活発だけどそれはともかく)いるけど、311由来のアウターライズ地震の起きる可能性は100%(!)とも言われているんじゃなかったのか。

1500本以上の使用済み核燃料が格納容器もなくほとんど宙づりの状態でこれから二年近くも放置されるのは気違い沙汰だと言ったら、お前は心配性過ぎるということになるのだろうか。
正常な判断力を持った者なら、ある程度(数千?数万?)の人的被害を覚悟した上で即時に少しでも安定した場所へ燃料を移送するのではないか。たとえ数千人を犠牲にしても一億以上の命と今後この国に住む数多の人間たちへの深刻な影響を防げるならかなり危険な作業を立案実行できるはずだ。

命の危険があるような作業なら自衛隊投入という選択肢しかないだろう。東京電力社員を命にかかわる作業に大量投入すれば世論は熱狂的に歓迎するかも知れないが、あまり実際的なソリューションとも思えない。
いずれにしても命がけの作業を計画し実行に移せる強力なリーダーシップを現代日本に期待できないとは思う。残念ながら。

そう言えば昨年の原発事故直後の時期、海外マスメディアの東京電力叩きは印象的だった。インターネットの日本語言説での東京電力叩きはすさまじいものだったけど、海外メディア(特に米国マスコミ)のTepcoネガティブキャンペーンの如きものもまた執拗だったと思う。日米原子力協定で原発事故に際して運用会社が全面的な責任を負いメーカーの製造責任は問わないことが明記されているにもかかわらず念には念を入れた感触を受けた。

あの大地震に直面してすら東北新幹線は一両も脱線せず正に技術大国の面目を躍如したとも言えるが、同日に三機の原子炉がメルトダウンしたのだから(今となってはかえって不思議なくらいだけど三機の原発が並んでメルトダウンするなんてどんなSF小説にもどんなパニック映画にもなかった状況だ)世の東電叩きはある程度理に適ったものなのかも知れない。まして同様の地震にさらされた女川原発では重大かつ深刻な事故は起きなかったのだから、実際のところ東京電力というのは極めて劣悪な会社であるように見える。
にもかかわらず原子力発電所に関する事象全般は主に歴代政権や監督官庁に起因するとしか思えない。

メーカー責任に関してはともかく歴代政権や監督官庁の責任が問われていない現状はどうかと思う。
と言うか、民族の存続や国家の浮沈にかかわるようなシビアな原発事故の処理を一企業にいつまでも任せているのは暴挙としか言いようがない。

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