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というとまるで五輪真弓の歌(注)みたいだが、実は私が思い出したのは太田裕美『木綿のハンカチーフ』の冒頭。 恋人よ 僕は旅立つ 東へと 向かう列車で この曲をなんとなく思い出したのは某所で『さらばシベリア鉄道』が話題になっているのを見たせいだと思う。 それにしても星の数ほど歌謡曲はあれど、この『木綿のハンカチーフ』ほど評判が悪い曲というのも珍しいのではないか。誉めている人に会ったことがない。ずっと昔、山上たつひこのマンガでこまわり君がこの曲を絶叫しているのを見たことがあるようなうっすらとした記憶があるけど、応援しているようには(?)見えなかった。 東京都港区育ちの作詞家松本隆の作り上げた凶悪なるまぼろしの故郷。 ただ 都会の絵の具に 染まらないで帰って 染まらないで帰って 太田裕美の爽やかな声で歌われるとうそくささ三乗というか。きちんと故郷のある人たちはまた異なった違和感を覚えるのかもしれないけど、とにかく臨界点を遥かに経過している感じがしてならない。 まあ、どうでもいいことなんですけど。どうでもいいことなら書くなよ(自分つっこみ)。 人生五十年とは言うけれど、今更ながら帰る場所がないことが身にしみる。もっと若いうちから自覚はあったはずなのに、やはり骨身にしみるというか身体に堪えるというか。 幼いころボンヤリした子供だったので、幼少時の記憶というのはあまり鮮明ではないのだけど、やはり砂場で遊んでいたときの記憶のようなものはいくつか思い出せる。 そんな中、もっとも古いと思えるもののひとつに、本当に幼かった弟と遊んでいて弟がすべり台の上のほうから落下して泣き出したので、パニックになり慌てて父を呼びに走った記憶がある。場所は大久保公園。当時の番地では西大久保一丁目、現在は歌舞伎町二丁目だ。 数年前に通りかかったときは少し整備されて小奇麗になっていたが広さは変らず、相変わらずホームレスの姿があった。私が生まれたころからホームレスはいた。ホームレスなんて言葉はまだなく浮浪者と呼んでいたけど。物心つく前からああいう人たちを見ながら遊んでいたのか。自分には帰るところないなんてわざわざ意識する必要もなかったろう。何も持たない自分には慣れているつもりだった。どの本だったか忘れたけど最近読んだ貧困問題を扱った本のなかで「貧困とは広範囲に広がっていても目に入りにくいものだ」という指摘があった。しかしさすがに幼児の視線の高さでは容易に目に入る。 何も持たない者。一昔前の言い方なら無産市民。でも自分としては根無し草という言葉のほうがしっくりくる。現代では珍しくもない存在だ。多数派だからと言ってもなんの安心感にも結びつかないけど。 小さいころTVドラマなどで都会に出て行く子供に親が「百姓やってたって生きていけるのだから(苦しくなったら)いつでも帰って来い」というようなことを言う場面を何回も見たものだった。最近はTVを見る機会もないのではっきりしないが、まさかもうあんな台詞にお目にかかることはないだろう。 どこにも帰る場所がない。私の子供たちはそういう状況をどういう風に捉えているのか、少し気になる。 注:そういえばいつかどこかで橋本治が「マラソン人」という表現をけちょんけちょんに貶していたが私は「マラソン人」ってすごい言語感覚だと感心してしまう |
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